[在籍期間:1949年 から 1956年]
金属工学を専門とし、工業奨励館就任前には、高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)の教授や東京大学で講師として教鞭をとり、多賀工業専門学校(現在の茨城大学工学部)では学校長を務めました。
1949年に工業奨励館の館長に就任してからは、材料部の新設や、工場巡回相談車(TIC号)を発足させるなどの数多くの新規事業を手掛けました。
その他にも、天然ガスや工業用水の調査研究にも着手したり、米軍による接収敷地の解除返還にも注力したりと、幅広く活躍した人物です。展示会などの広報活動や技術検査サービスの拡充にも力を入れ、「工奨ニュース」や「研究報告書」も橋本宇一氏の時代に始まりました(今の「TIRI NEWS」や「研究報告」の先駆けといえます)。
工場巡回相談車(TIC号)
ちなみに、内閣総理大臣を務めた橋本龍太郎氏は、甥にあたります。
1956年、科学技術庁金属材料技術研究所(現在の物質・材料研究機構〈NIMS〉)の創設に携わり、初代研究所長に就任します(NIMS設立準備室は工業奨励館内に設置されていたそうです)。また、日本機械学会会長なども務めた偉大な人物です。
橋本氏は、金属材料の研究者として活躍されただけでなく、(国研)物質・材料研究機構(NIMS)の創設にも携わるなど金属材料研究の発展に大きく貢献されました。それだけでも凄い方ですが、経営者としてもその才を発揮されました。
橋本氏は、工業奨励館の館長として今の都産技研でも行われているような様々な事業を打ち立てました。例えば、TIRI NEWSの先駆けとなる「工奨ニュース」や研究報告書として「東京都立工業奨励館報告」を発刊し、宣伝の重要性を認識していました。また、工場巡回相談車(TIC号)を発足し、現場での技術支援を始めました。これは、今でいう社用車を用いた実地支援に当たります。私自身も省エネ巡回という形で計測器を社用車に載せ、現場での測定・技術指導を行ったことがあります。
橋本氏がこのように新規事業を次々と立ち上げたのは、工業奨励館を発展させ、業界をリードしていくという強い想いがあったからだそうです。研究者としてだけでなく経営者としても、果敢に挑戦し続けたその姿に尊敬の念を覚えます。私も現役の職員として、橋本氏の熱き想いを受け継ぎ、中小企業や都産技研の発展のために果敢に挑戦していきたいと思います。
見据える先には何が見える?
電気技術グループ 副主任研究員
新井 宏章